8月23日名古屋市中区倫理法人会モーニングセミナーは、大阪府倫理法人会 副幹事長 アール・グラージュ作家 梅澤千雅子様を招きテーマ『 神からいただいた17条の実践』。
平成19年に倫理法人会に出会い。朝早くから異常なほどのテンションの高いモーニングセミナーに、何これ!と思った。「万人幸福の栞」の目次を見て、これは、私が全て経験して来たことだと思いました。
平成元年、ある日目が覚めて起きようとしても起きられない。一晩にして、悪性関節リュウマチになりました。医者の診断では、この病気で死ぬことはないが、この痛みと一生つき合わなければならない終身刑みたいなものだと、あっさりと宣告。
バブル最盛期に不動産業を営み、リーダー的な存在で、完璧主義で仕事をし、長女を出産後もすぐに仕事復帰。その後の発病で、実母には育児と家庭と私の看病と三つの負担をかけることになったが、感謝することさえしなかった。平成15年には次女を出産するが、二週間後にリュウマチを再発、次女には母乳を与え元気な子に育てたかったので、私に治療や投薬は後回しにした、次女は元気に育つが、私は全身の痛みで寝付かれず、看病してくれている母に暴言を吐いたりもした。
薬の副作用で体が変形し、格好悪く出掛けるも、人の目が気になり引きこもりとなる。一級の障害者に認定され、この先の人生を絶望視し、周りの人に暴言を吐き続けた。寝たきりになり、益々マイナスの心境になり自殺未遂をしてしまった。第一発見者の母のおかげで命を止めるが、死なせて欲しい、生きていても意味がない、痛みに耐えられないという思いでいっぱいであった。その時の母は「生きているだけでいい。息をしているだけでいい・・・・」の一言が、私の心のベクトルが180度変わり、他のために生きようと思った。
平成12年に外に向けて一歩飛び出すことが出来た。他人の目も気にならなくなっていた。気にしていたのが自分自身の心がそうさせていたのである。トライ・チャレンジする人生に変わった。街角で藤原祐寛師の絵に出会い衝撃が走った。絵を描きたいと。手が動かないのに無茶な事に、藤原祐寛師に日本画の弟子入りを要請するが、あっさりと断られた。それでも何度もお願いに行くと、師は諦められ、絵の描き方を教えて頂いた。箸も持てなかった手で、何とか描きたい思いで、一本の線や丸も描く練習を、昼夜必死に行ない、手が動くようになった。奇蹟である。この小さな喜びを得て絵が描けるようになった。
絵が描けるようになり、ちょっと名が売れてくると、天狗になって来ると神様は新たな試練を与えてくださる。利き腕を複雑骨折してしまい、絵筆を持てなくなってしまった。絶望視するも、アール・グラージュ手法との出会いに感動し、再び過去に描いた絵を甦らせる、アール・グラージュ作家として現代は活躍しています。
今も24時間ある痛みも、感動を得てきたことにより、心の持ち方を、見方を考え方を変えることによって、人生が、全てが、変わることができる。何も出来なくなって、人に感謝することも出来るようになった。人の力を借りれば、心がバリヤフリーになれる。生きているだけで誰でも可能性がある。無限の可能性がある。まず、一歩踏み出すこと。周りの方への感謝力があったらどんなことも出来る。