5月25日は、社団法人倫理研究所 法人局 小林桂子参事を迎え幹部研修を開催。テーマ「5、朝を制する」。
小林桂子参事は、昭和36年に倫理に入会。数々の苦難を倫理の生活指導によって、死に物狂いの実践を重ね倫理の素晴らしさを実感され、次から次と話される倫理体験は壮絶なものです。倫理体験とは、倫理指導により己自身や、家系の流れから来る過去の罪に気づき、真心の倫理実践により消罪し、自身を心癖を変えることによって、奇跡とも言える現象が起きてくるような体験が得られ、すべてが好転していくことです。ご主人の不治の病が改善して行った体験は、医学的には証明できないが、現実に良くなった結果がある。
倫理体験を聴くことは、聴いた人も、倫理実践と体験を疑似体験できることにより、潜在意識の中に残るのです。それを自らの倫理実践に活かす事が出来ます。
倫理実践には、正しい朝起きを重視していることが特徴です。朝起きて、最低の顔をしていないか。一日に一度かならず目が覚める。目が覚めるということは、生きていることの証。ああ、今日も生きていてよかったと、機嫌よく起きるのが本当なのです。人間は他の動物と違って、いろいろな不幸に出会うのは全部、自分の我がまま、気ままの心が原因です。我がままは、朝寝から始まるといってもいい。朝起きの秘訣など、あるものではない。考える前にとにかくやってみる。「さあ明朝から早く起きるぞ」と決めて起きたらいいのです。決心してやればできるのです。
事をなそうとする者は、太陽をして、己の寝床をうかがわしめてはなりません。ひと仕事片付けて、ゆうゆうと日の出を迎えるようにしましょう。人生の勝利者は、仕事を追っている。倫理の実行は、まず早起きからです。
翌朝のモーニングセミナーも、小林桂子参事を迎え、テーマ「人生に無駄はない」。
嫁ぎ先の母は、こんなことまでと思えるほどとても厳しく、とんでもない母でした。それが倫理を学んだことによって変わったことに驚き、家族中で倫理を学ぶようになった。我が家の先祖代々の罪を消す、消罪をする思いで倫理を学ぶが、苦難の連続である。献身的に介護し、あの厳しかった母も亡くなり、父が脳梗塞で半身不随になり、死にたい死にたいと言うばかり。挫けそうになり、そのつど何回かの生活倫理指導を受ける。気を取り直して、親身になって介護を続ける。父を看取った後は、郷里の母の介護をすることになる。生みの母の思いに立って、献身的な介護をする。立派に生きた人は、立派な死に方をするといわれるが、自分の思い通りの死を成し遂げた母は、立派な生き方をした人だ、との思いがこみ上げてきた。
四人を介護し、看取り、真心の介護を体得し、人生に与えられたことをやりとげることに、無駄はない。親を敬しなければ、何ひとつ満足できない。本当の親子になること。
純粋倫理を学ぶことで、いつでも何処でも自分の心を変えることができる。
純粋倫理は、学問でも宗教でもない。生活の法則(すじみち)なのですから。