10月27日名古屋市中央倫理法人会モーニングセミナーは、ちた岬倫理法人会会長・青木登様を迎え、テーマ「二人の父」。
二人の父とは、実の父親と、高校の相撲部の監督のことです。
生まれた時は、標準体重で生まれましたが、生後一ヶ月で一歳児の体重になり、母乳だけでは足りずにミルクも飲んでいたそうです。一歳で二歳児の体重がありました。そんな体格でしたから、いじめられっ子でよくいじめられまっしたが、反撃をすると力があったので相手を泣かせてしまい、怒られるのはいつも自分でした。そんな性質でしたから、争うことが嫌いでしたが、相撲部を薦められ、入部するも相撲部でもいじめの対象になりました。そこには、体格も腕力もすごい人もいて、とてもかなわないとコンプレックスを感じていました。大学では、しごきにもあい脱走したこともあります。
いろんなことがあって嫌な気分をたくさん味わいました。今になって思うと耐える、忍耐力を教えられていたと思える。高校の相撲部の宮崎先生の言動は私を育ててくれ、愛があった。
実の父は青木家に婿養子として入り。辛いこともいっぱい経験してきたが愚痴を聞いたことが無い。相撲部が厳しくて脱走し、逃亡生活をし、脱落者として暗い思いであったが、父は逃亡先まで迎えにきてくれ、一言も怒らなかった。遊んでいるなら家業を手伝うようにいわれ、仕事を手伝うが、宮崎先生の一言で相撲部に復帰することができた。
そんな父を突然亡くし、半年後に宮崎先生も亡くなり、遠方より葬儀に駆けつけた。その時から、自分の葬儀の時に他人がどれだけ涙を流してくれるかを、問えるようになった。
ちた岬倫理法人会開設の時、会長の器ではないが、他会の会長から「私も、会長職の自信などないが、やっていると何かがある、何かが掴めるからやっているだけだ。」と言われ、会長職を受け、与えられるままやっているだけで、専任幹事や事務長が支えていてくれるからこそであって、感謝の気持ちでいっぱいになり、設立の時には自然と涙が出そうになった。
倫理法人会入会後も、私どもの夫婦仲は離婚を考えるほどでした。夫婦のあいさつの実践を奮起して自ら率先していった半年後に妻の態度が変わってきたことには驚きました。
モーニングセミナーは元気をもらって、自分の方向性を知る場と思っています。