4月15日「経営者の集い」は岐阜県飛騨倫理法人会から副会長で法人レクチャラーの金子晶宣(まさのぶ)様を招き「社長の片腕はたった一人でいい」。
下呂の住まいし、祖父が名前を付けてくれたがまともに呼ばれたことがないので、名刺には平仮名で書き漢字を小さくそえている。祖父が始めた西洋洗濯屋を受け継ぎ創業75年になる。下呂温泉の旅館のリネンを主に三宝クリーンサービス(株)と(有)リネンコークの社長をやってきました。平成20年に社長を退くことを宣言し、スムースにはいかなかった。銀行の借受があるので代表取締の名前だけは持ち、業務執行代表と業務執行工場長をおき、現在は全て任せてある。
20年前に先代の社長から引き継ぎ、バブル全盛期で何をやってもうまく行った時代。毎晩、会合や宴会に参加し、時代に乗り遅れまいという気持ちでやっていた。バブル崩壊後は、温泉の団体客がパッタリなくなり、客数が激減し、足がすくむほどの恐怖を感じた。そして、社内の怠惰な体質が蔓延していたことがわかってくる。
そんな時、倫理法人会に誘われ、モーニングセミナーとナイトセミナーに一回だけ話しを聴きに行くが、聴く耳を持たなくて会社のことだけを考えている有り様で、不良会員でした。40代後半にふとした切っ掛けで受けた検査で、ガンが見つかってしまい。転移の再検査を受け、結果がわかるまでの二週間は死の恐怖との戦いでした。それでも、おかげで手術も成功し入院生活も予定より長引いたので、退院すれば会社は火の車になっていました。
そんな折、久しぶりに何となく倫理法人会のナイトセミナーに参加し、倫理の仲間から「人はひとりじゃ生きて行けないんだよ」の言葉が心にしみて、みんなの支えがあって出来てきいることに気づかされた。ガンを病んだからかどうかわからないけど、超ワンマン経営者だった私がその時を境に変わることができた。
従業員への対応も変えることができた。聴く耳を持つことができた。ひとりの社員が私にとても真摯に接してくれるようになり、彼を枝葉に会社が廻って行くようになった。
最初のちょっとした倫理法人会に誘われた切っ掛けで今の自分がある。財力や権力が欲しいと思っていたが、倫理によって、病いの死の恐怖からチャンスをもらったと思える。苦労をかけた家内の助言を今では素直に聴ける。倫理のおかげである。
翌朝4月16日のモーニングセミナーのテーマは「娘と息子が教えてくれた父親の幸せ」。30歳になる娘と27歳の息子が居ます。息子が中学の時、お母さんが、高校の入試勉強をするようにうるさく言うことを止めさせて欲しいと言って来た。その時、男同士の約束で、好きな陸上競技をやるのと同時に第一志望の高校に合格すること。そして、父親としても自分も、今から英語検定に向けて勉強し、英語検定に合格することを約束。私も週一回の塾通うことになる。それ以来、家内は受験勉強のことは一言も言わなくなった。
息子は先天性内反足の障害を持って生まれ、生後2ヶ月からギブスをはめた生活が始まりました。歩き方がおかしいので、保育園に入園するもいじめられることを覚悟の入園式。その日にいじめられ、相手を殴り園長先生と謝りに行く。相手の親御さんから逆に謝られた。おかげで、いじめはそれ以来起きなかった。小学2年の時好きな野球部に入るが、障害があり足が遅いのでボール拾いだけでした。しかし、4年生の頃から足の状況が良くなってきて、5年生でレギュラー選手して活躍するまでにもなりました。中学生になってからは三歳年上の娘の影響で陸上をするようになった。そして高校受験を前に、私も英語検定の勉強と仕事の掛け持ちでしたが準英検二級に合格することができた。それが息子に良いプレッシャーとなり第一志望校に合格。受験に真剣に取り組みたかったので、滑り止めの第二志望校は受験していなかったことを後で聞かされた。高校では陸上で駅伝で活躍するまでになった。
家族に迷惑をかけながら、会社が行き詰まりの時、倫理法人会に入会したが、スリーピング会員でした。それでも、倫友の出会いから、家族や人の話を聴けるようになった。倫理を学ぶことによって、子供を育てることによって、幸せを感じることが出来た。他人の一社員が私を信頼してくれて、社内が変わった。子供を育てることも、会社を育てることも一緒である。
今では、倫理が大好きです。倫理法人会万歳!
金子様の熱弁に皆さんは聴き入っていました。