2月18日のモーニングセミナーは、西尾市から浄土宗浄名寺の松原紗蓮様を招き「地獄絵の絵とき」〜悲しみの中に学んだこと〜。
松原紗蓮様は昭和52年生まれで、23歳の時に尼になったが、尼に憧れていたわけでもない。2才7ヵ月に孤児として浄名寺にあずけられた。熊野にある地獄絵がプロジェクターに映し出され、自らの人生と照らし合わせ、その絵を解説されながら、講話は始まりました。
人生には、上り坂と下り坂と「まさか」があると言った人がいる。この不況も、「まさか」である。世界一のトヨタでも赤字を出し、職を失い、ホームレスが増えている。そんな時代だからこそ、夫婦仲よく、互いに尊敬信頼し合うことです。そうすれば、地獄絵のにもある、火の車でも運転して行けるのです。
幼い頃は、捨て子といじめられ、庵主さんには両親は死んだと聞かされて育った。「あんたは捨て子なんかじゃないよ。私な大事な子だよ。」と暖かく抱きし慰めてくれた。中学に入学するに、経歴を書いて提出しなければならない時、庵主さんから、両親は離婚して、私が捨てられた本当のことを話してくれた。私は、地獄に落とされた気持ちになり、頭を金髪に染め、世の中に反抗するようになった。だから、益々地獄に落ちて行ったのです。本当の心は、寂しくて寂しくて仕様がなかったのに、反抗を続けた。死にたいと思えば、その通り境遇になり、何度も死にかけた。車ごと海に落ちて目撃者が必死の思いで助けてくれた命の恩人に対して、死にたかったのにと、感謝の気持ちも持っていなかった。13才からの7年間は涙の中で暮した。20歳になって行きたくもない京都の僧侶の修行寺に強制的にあづけられ、母代わりの庵主さんの心中は祈る気持ちであって、京都のお寺で、深々と何度も頭を下げてお願いする、庵主さんの姿は、今まで見たこともなかった。
「因果果報」は仏教用語です。種をまいたから花が咲く。それには太陽の光も、雨水も土もあって、芽が出るのです。いろいろな縁があって花が咲き、実が出来る。良い種まきをすれば、果報は寝て待てである。車が海中に沈んで中でも、救われて生きていることは、当たり前でないのです。有り難いことなのです。有ることが難しいことなのです。今では命の恩人に感謝の毎日で、尼の仕事を、天職とも思えるようになりました。お陰様の人生です。